よくあるお悩み・相談
これまで普通に仲良くしていたと思っていた子どもに、家で話している時に急に激昂されて以来、連絡を絶たれました。何度か連絡をしているのですが無視されているのですが、どうしたら良いでしょうか。
PaToCaの考え方
多くの「毒親と呼ばれた人」にとって、その日が来るのは唐突です。なぜなら、その日が来るまでの子どもからのSOSをうまくキャッチできず、あるいは多少のトラブルになってもなあなあに仲直り(でもないような、なんとなく日常が再開していくような謝罪と再発防止のない関係の再開)を経て、言動を修正することができず、子どもの傷つきは蓄積されていった先で、限界を超えた子どもが関係を断つことが多いからです。
このような状況で、やってしまいがちだけれどもその後の関係を強烈に悪化させるリスクの高い行動が「直接会って話す」「長文で文章を送る」などです。内容が謝罪であってもリスクがあると考える方が良いと思います。
PaToCaは加害を「ケアの欠如した関わり」と考えます。逆に言えば、ケアをすること以外は加害になる、という考え方を採用しています。こう考えてみると、直接会って話したり、長文で文章を送る際に「ケア」がうまくできない場合は、すべて加害になると考える必要があります。情報量の多いコミュニケーションをするほど、大量に加害をする可能性があります。
すでに深く傷ついている子どもが、半ば「変わってくれるかも」という期待と、それがもう実らないという絶望に基づいて行ったコミュニケーション(往々にして、かなり強烈な激昂、怒りをぶちまけるような関わりとなります)に対して、加害を重ねるのはその後の関係に悪影響を及ぼします。
それは「やっぱり、あれだけ伝えても、本当に、わかってくれないんだ、伝わらないんだ」という絶望を生み出すからです。そこから先は、「もう関わりたくない」「何も知りたくない」といった感情が中心になり、謝罪も受け取り不可になることがとてもよくあります。
急激な関係の変化や、強烈な攻撃を受けると、なんとか速やかに、激しく、関係が回復することを望んでしまうかもしれません。焦ったり、不安が先行して、何度も電話したり、長文で何度も連絡をしたり、相手の家に約束もなしに行ってしまうこともあるかもしれませんが、それは子どもからすると境界線を踏み躙られた感覚を覚え、ケアとは真逆の印象を受けるでしょう。
では何をしたら良いのか。それは加害(毒親)とは何か、ケアとは何かを学ぶこと。そして、自分が子どもとどのように関わってきたのかをその観点から振り返ること。相手の傷つきを想像し、それが相手の怒りを生み出したことを率直に認めること。その上で、なぜ自分がそのように関わってきてしまったのかを理解し、多くの場合は自分自身が受けてきた傷つきを認めて慈しみ、今後同じような状況でどうすればケアになるのかを考え準備し、その一連の学びを、謝罪として伝えることです。
そして、そのプロセスの中でとても大切なことがあります。それは、あなたがいま抱えている悲しみや痛み、不安や恐怖、どうしてわかってもらえないんだという絶望、そういった感情が自然なことであると認められ、ケアされることです。
お子さんに突然激しく責められたり、攻撃されて、平静でいられる人はいません。言い訳をしたくなることも、それどころか親不孝だと責めたいと思うことも、決して変なことではありません。自分が悪いと思ったら今度はすぐにでも謝りたくなるかもしれません。
しかし、十分に学び、安易な加害をしない状態になっていない限り、深く傷つき苦しんでいるお子さんに対して関わることはものすごいリスクを伴うことを強調させてください。ケアしているつもりが、謝っているつもりが、全然うまくいかずに、むしろ相手の感情を逆撫で、激しく傷つけ、もう2度と関わらないという決心を強める可能性があります。
毒親からの変容とは、多くの場合、自分自身の生まれ生きてきた中での傷つきに直視し、思い出したくない記憶を思い出し、その傷をまず癒すことを伴います。多くの毒親は自分自身がそもそも傷だらけであり、それゆえに誰かを慈しみ余裕がない人生だった可能性を認める必要があります。
毒親に関することを学んでみると「これくらいで毒親なら自分の親だって毒親だ。でも、親は親なりに頑張ってくれていたんだ」と思うかもしれません。しかし、親は親なりに頑張ったとしても、それでも子供を傷つけることはあるし、傷ついて良いのです。
その傷つきを認めた時、そしてそれを癒した時、今度は、自分もまた「自分なりに頑張ってきたけれども、子供を傷つけてしまった」ことを認められるかもしれません。
終わりに
その性質上、個人の変容に焦点を当てたコンテンツを中心としています。しかし、子どもに加害してしまう親を単に「変わるべき、間違っている人」とは考えません。
「変わりたい」と願うモラハラ・DV加害者の問題に取り組むGADHAにおいても、そのように考えて活動をしてきました。
誰かを傷つけよう、苦しめようと思って生きている人はほとんどいません。誰もが、幸せになりたいと願い、しかしそのための言動が、結果的に自分も周りも苦しめていることがほとんどです。
毒親と言われる人もまた、ケアが欠如した養育環境で育ったことも多く、連鎖しています。PaToCaの主な活動は個人に焦点を当てますが、社会的な要因もたくさんあります。
だからこそ、「毒親」を責めたり、辱めたり、ダメな親だと烙印を押すのではなく、加害を加害と認めた上で、「ではどうしていこう」と共に学び変わっていく場を作っています。
誰かを悪者とするのではなく、どうすれば「自他共に、持続可能な形で、美徳を発揮してケアしあえる関係」を増やしていけるかを考えて活動してまいります。
また、個人の問題に還元しないからこそ、公的な子育ての支援制度や文化が大切だと考え、中期的な活動計画に盛り込んでいくつもりです。