歯磨きやお風呂に入りたがらない子どもに無理強いしてしまいます

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よくあるお悩み・相談

ケアが大事だとか、情動調律をしようと思うのですが、どうしても難しい時があります。例えば歯磨きやシャワー・お風呂などを嫌がるような時に、相手の「嫌だ」という気持ちを尊重しようとすると、それらをしなくてよいということになってしまいますが、親としてそれで良いとは思えません。無理強いしてしまう自分は加害的な親、毒親なのでしょうか。

PaToCaの考え方

子どもが中々言うことを聞かず、怒ってしまうというシチュエーションの1つだと思います。毒親になりたくないと思う人ほど、こういった場面の自己嫌悪が強く出て、苦しくなってしまう方も多いようです。

1.加害の連鎖につながるか

ここでは大きく3つのポイントについて考えを共有させてください。まず1つ目は、加害の連鎖の視点です。僕はGADHAなどを通して、さまざまな「加害」を親から受けてきた人の話、それによって加害者になった人たちの話を伺ってきました。だからこそPaToCaに取り組んでいます。

その中で「歯磨きを強要されて傷ついた、今でも許せない」というような話をする人はいません。もちろん、世の中にそういった方がいる可能性はあります。けれども、少なくともそれを受けて加害を連鎖させたと説明するエピソードは聞いたことがありません。

子どもの時は億劫であっても、大人になってみれば「そりゃ歯磨きとかお風呂は入ったほうが良かったよね」と思うことが多いからでしょう。加害者が後から「こういうことをされて辛かったのに、自分も同じことをしてしまっていた」というときに出てくるエピソードでは、少なくともありません。

毒親になるのが怖いと考えるとき、より具体的にその状況を考えると、「お前からこういうことをされたから、いまの私はこんなふうになってしまった」という怒りをぶつけられるシーンや、「悪気はなかったのかもしれないけれど、ああいうふうにされて、いまとても生きづらい」といった苦しみの吐露が想定されるでしょうか。

どちらかというと、そのような衛生的なケアを「子どもが嫌がったから、放っておいた」というような場面の方が、後から憎まれるケースは高いと思われます。それは、子育てには、「子どもが、自他に対して、ケアが可能な人になるように関わる」ことが含まれているからです。

2.キレる前にできることに取り組む

このように「この状況になると、いつもこうなってしまう」というシチュエーションに悩んでいる人は少なくありません。歯磨きじゃなくとも、例えば「家を出る直前になってから準備をするから遅刻しそうになって焦る」というような場面もあれば、「お菓子を食べたがるのに、ご飯は食べたがらないので、せっかく作ったのに腹が立ってくる」というような場面もあると思います。

それと同じように、歯磨きやお風呂のときなどに思うように動いてもらえないと、疲れていたり、他の家事や仕事があったりすると、どうしてもイライラしてきてしまうはずです。そのイライラは自然なことであり、誰にも安易に否定されていいものではないと思います。

だからこそ、そこでキレたり、物に当たるなどの「表出」の部分には気をつける必要があります。なぜなら、加害の連鎖につながる部分は、この「表出」の部分だからです。歯磨きをさせられること自体は、当時は嫌だったとしても、後から振り返って憎んだり、許せないと思うことはないでしょう。しかし、怒鳴られたり、物にあたられたり、長時間にわたって無視をされたりすることは、被害者に残ります。

ですので、なんとかかんとかキレずに進められる方法を見つける必要があります。PaToCaは(今の所)子育てのtipsのための場ではないので、具体的な方法や手段、工夫は検索などをしていただけるとたくさん見つけられると思います。多くの方が悩み苦しみながらなんとかかんとか取り組んでいることですので、きっと1つでも2つでも、お子さんとの関係において役立つアイデアがあることを願っています。

3. 辛いからこそ相談する、愚痴をこぼす

一番大切なことは、子育ては辛い(ことが多い)ということです。どう考えても歯磨きはしたほうが良いのに、子どもからはまるで悪いことをしているかのような気持ちにさせられることもあるはずです。それは、本当に辛いことです。

しかも、先ほど2番に書いた通り「絶対自分が正しい」と信じて、暴力的に振る舞ったり、支配的に振る舞ったりすることが正当化されるわけでもありません。怒鳴ったり、脅かして、無理やりに動かしても、結局中長期的には関係性も悪くなって、一体誰のために何をしていたのか…と後から自己嫌悪、後悔することも多いと思います。

八方塞がりのように思える時、「もう八方塞がりだ…」という苦しさ、しんどさを共有できる場所が本当に重要だと思います。SNSで愚痴ってもいいし、友達に愚痴ってもいいし、弱音を吐いたり、イライラを率直に表現したり、「もうやってられない」と素直に思うその気持ちを、吐き出せる場が必要だと思います。

ただし、それを子どもに直接ぶつけるのは加害になります。なぜなら、子どもは自ら望んで生まれてきていないからです。子どもは、完全に親の都合によって生じた命です。「産まなければ良かった」は、最も強烈な、存在の根本的な意味での加害になります。

でも、だからといって、イライラしなかったり、むかつかないということでもない。命を生み出したことを後悔することだってある。だからこそ、大人同士で吐き出せる場所が必要です。

 

終わりに

PaToCaは、変わりたいと願う毒親のための学びのコミュニティです。オンライン・匿名・顔出しなしの当事者会や、slackでのテキストコミュニケーションなどを行っています(活動詳細はこちら)。また、関連する理論をこちらにまとめていきます。

その性質上、個人の変容に焦点を当てたコンテンツを中心としています。しかし、子どもに加害してしまう親を単に「変わるべき、間違っている人」とは考えません。

「変わりたい」と願うモラハラ・DV加害者の問題に取り組むGADHAにおいても、そのように考えて活動をしてきました。

誰かを傷つけよう、苦しめようと思って生きている人はほとんどいません。誰もが、幸せになりたいと願い、しかしそのための言動が、結果的に自分も周りも苦しめていることがほとんどです。

毒親と言われる人もまた、ケアが欠如した養育環境で育ったことも多く、連鎖しています。PaToCaの主な活動は個人に焦点を当てますが、社会的な要因もたくさんあります。

だからこそ、「毒親」を責めたり、辱めたり、ダメな親だと烙印を押すのではなく、加害を加害と認めた上で、「ではどうしていこう」と共に学び変わっていく場を作っています。

誰かを悪者とするのではなく、どうすれば「自他共に、持続可能な形で、美徳を発揮してケアしあえる関係」を増やしていけるかを考えて活動してまいります。

また、個人の問題に還元しないからこそ、公的な子育ての支援制度や文化が大切だと考えています。